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ヒストリー / クラブ雲峰の歴史館です。

海外遠征

1970年
台湾中央山脈 雪山(3886m)南壁初登攀

1969年12月クラブ雲峰の創立5周年記念事業として計画されたのが台湾中央山脈の雪山(3886m)にある未登の岩壁であった南壁への挑戦です。これはクラブ雲峰として初めてとなる海外遠征でした。

雪山南峰から当時としては未開拓の北峰への縦走と中央岩峰ならびに左岩峰の初登攀を果たしました。「より高く、より困難を、パイオニアワークを求める」クラブ雲峰の原点となった遠征だったのです。

台湾中央山脈

1974年
ネパール ヒマラヤ プ・モリ(7165m)西壁初登攀

世界の屋根ヒマラヤへ行こう、そんな気運がクラブ内で高まり3年越しの計画となった。目指したのはプ・モリ峰である。遠征を翌年に控えた1973年唐沢岳幕岩雲峰ルート開拓では無雪期積雪期ダブル初登を果たし、プ・モリ遠征への大きな自信となった。当初の登攀予定ルートは南壁としていたのですがフランス隊に登られてしまいました。そこで誰も手を付けていない難攻不落とされていた西壁に挑む事としたのです。

1974年7月~10月 カトマンズを発ち、3週間にわたるキャラバン開始となる。プ・モリ西壁の基部チャングリシャー氷河のモレーン上にBC(5300m)を建設し、氷雪の鎧を纏った高差1800mを越す西壁へ挑戦。大きく口を開けるクレバスだらけの迷路のような氷河を抜け西壁に取り付くも壁は予想した以上に傾斜がきつく、前進キャンプのテント設営にも難渋するルート工作が続きました。苦闘の末、止む無く2日連続ビバークの後、6800m付近の小さな雪稜を削り設営されたC3よりさらにルート工作は続き、頂上に向けてアタックが開始されました。

C3を午前2時30分に発って7時間、高所での厳しい人工登攀にも耐え、10月13日午前9時50分、遂にプ・モリ山頂に2名の隊員が立った。長く苦しかった道程の先、紺碧の空、そしてエベレストを背景にクラブ雲峰旗、日章旗、ネパール国旗が高々と掲げられたのです。

ネパール ヒマラヤ プ・モリ 西壁初登攀
ネパール ヒマラヤ プ・モリ 西壁初登攀

1977年
ネパール ヒマラヤ ダウラギリⅠ峰(8167m)西壁登攀

プ・モリ登頂から3年、次に狙うは8000m峰のバリエーションだと云うことになり目標となったのがダウラギリⅠ峰(8167m)の西壁でした。 入念なる計画と周到な準備が始まりました。
クラブ雲峰、姫路山岳会、更にはアルパインクラブや登攀クラブと関西地区のメンバーが集い「関西ダウラギリⅠ峰登山隊」が結成されました。

1977年7月~10月 ポカラから始まったキャラバンは15日間を要し、西壁の基部3900mにBCが建設されました。プチャール稜の南西側へ回り込み西壁登攀が開始。取り付きから縄梯子をセットし、雪と岩のミックス帯に入る。プチャール稜直下のハングも越えた。西壁側にルートを取り頂上へのアタックも視野に入ろうとしていた時、下部で荷上げ中の隊員1名が落石を受け重傷を負う事故が発生、登山を一時中断して救助及び応急の医療措置が行われました。

数日後、登山活動は再開されルートを伸ばすもプチャール岩稜の頭直下、西壁側の高度約700m付近にて時間切れと判断し、この地点にてダウラギリⅠ峰西壁への挑戦は終わり、断腸の思いを胸に無念の下山となったのです。

ネパール ヒマラヤ ダウラギリⅠ峰 西壁登攀
ネパール ヒマラヤ ダウラギリⅠ峰 西壁登攀

2007年
パキスタン アッパーバルトロ

2007年7月 カラコルムの最奥部アッパーバルトロからゴンドコロ・ラを越える遠征が組まれました。隊の編成は日本山岳会関西支部・山陰支部・六摩会・クラブ雲峰からなる合同隊でした。

バルトロ氷河からチョゴリザの山裾であるヴィーネ氷河を登りましたが氷河がズタズタに崩壊しており目的地であったゴンドコロには到達することが出来ませんでした。しかし転進しバルチスタンの谷を巡り、未踏の山や岩壁を目にし、収穫の多い遠征となったのです。

パキスタン アッパーバルトロ

国内記録

1970年
黒部大タテガビン南東壁正面雲峰ルート開拓

1970年8月、本邦最悪の岩壁「黒部の魔人」と称され、未登だった大タテガビン南東壁正面に「雲峰ルート」が開かれた。4名の精鋭が絶対に登るとの強い意志を持って、今では到底考えられない勤務先を退職、退路を断っての挑戦であった。事前のトレーニングもコウモリ谷で4週間連続して実施していました。

南東壁正面基部の岩小舎にBCを設け、脆い岩質、特に壁中央部を横断する破砕帯の突破に苦労すること約3週間、神戸からの食糧資材の補給サポートを受け、登攀メンバーはルート開拓に集中することが出来ました。
長い苦闘の末、初登攀の栄光を手中にした彼等が代償として得たものは失業と云う現実でした。

黒部大タテガビン南東壁正面

1972年
唐沢岳幕岩雲峰ルート開拓

昭和47年10月の雲峰ルート開拓完登を受けて同ルートの積雪期初登をも目指す事になりました。この登攀成功で我々は唐沢岳幕岩雲峰ルートの無雪期積雪期ダブル初登攀を手中にし、ここに名実ともに雲峰ルートは完成を見たのです。

昭和46年9月24日~26日 第一次偵察試登
昭和47年7月23日~26日 第二次偵察試登
昭和47年9月15日~17日 第三次(台風接近で撤退)
昭和47年10月8日~11日 雲峰ルート完登
昭和48年3月21日~25日 積雪期初登攀

唐沢岳幕岩雲峰ルート開拓